前回、【若葉台の大型書店「コーチャンフォー」を紹介】した際、「日月神事コーナーがあった」と書いた流れで、紹介したいと思います。
日月神事とは
日月神事(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)さんが書いた不思議な書物です。
戦争の真っ最中だった1944年(昭和19年)6月10日、岡本天明さんは麻賀多神社を参拝したのですが、急に、右腕が痛くなり、無理やり筆を取らされ、すらすらと文字のようなものを書き出しました。(画家だったので遠出する時には画用紙や筆を持ち歩いていた。また霊媒的素質のある方だったようです)
この霊動による自動書記が「日月神事」で、別名「ひふみ神事」「一二三神事」とも言われています。
岡本天明さんは心霊研究家でもあったので、「自分に憑依するくらいだからどうせたいしたものではあるまい」と思い、書かされるがままに放ったらかしにしていました。書いた岡本天明自身にも、何を意味するのかわからない文体だったのですが、仲間の神典研究家や霊能者の協力のもと、少しずつ解読されたのだそうです。解読作業が進んでいくうちに、筆をとらせたのは「国常立尊」(国之常立神)という高級神霊なのではないかとの結論に至ったそうです。
この自動書記現象は約17年間にわたって続き、全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられました。
「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」
↓(読み方)
「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」
「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」
↓(読み方)
「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」
・・・といっても、日月神示の読み方や解読は8通り有るともいわれているので、解読は難しいようです。
検索すればいろんなサイトが出てくると思いますが、ウィキペディアもよくまとまっているのでご覧ください。
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日月神事がどういう本か、サラリと知りたいという方は、「はじめての日月神示 /かざひの文庫/中矢伸一」がオススメです。中矢伸一さんは日月神事を30年間も研究しており、「日月神事の第一人者」とも言われている方で、膨大な日月神事の中から、人生訓、あの世と先祖の話、未来と予言などを抜き出し、平易な文章で解説してくれているのですごく読みやすいです。
先ほどの本からいくつかを簡単に抜き出しますと、
- 自分で自分の道を開くのが大切
- 感謝して、自分に課せられた仕事(嘉事)につとめる
- 自分にふりかかるもの一切を最善のものと思い、自分を省みなさい
- 身魂(みたまみがき)とは善いと感じたことを直ちに行うこと
- 取り越し苦労はいらないが、心配りはせよ
- 良いことは人に譲って人を褒め、人をたてることが大事
- めぐりは自分のしたことが巡ってくることなので、他を恨むな
- 人は罪の子ではなく喜びの子である
- 四足動物を食べてはいけない。五穀野菜の類をよく噛んで食べる
- 窮屈・真面目くさって固くなるのはよくない。笑いの道、喜びの道に神のハタラキがある
- 神も仏もキリストも、元は一つ
- 肉体は少しの間のものですが、魂は限りなく栄える
さらに日月神事を学びたい方にオススメなのが、完訳日月神示。
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岡本天明さんが書いたままのオリジナルは今はすっかり散在してしまって残っていませんが、こちらの本は原文に忠実な本なのだそうです。
岡本天明と日月神事で、気になるのが、以下の文。
神霊より発表を禁じられていると主張する「巻」が13巻有り、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っている。
う~~ん、何が書かれているのでしょうか・・・。
気になる・・・。
現在出されている日月神事で、いくつか抜粋して載せておきます。
「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」
「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」
「神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪に負けて汚してしもうて、それで不足申していることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようが我らさえよけらよいと申しているでないか。それはまだよいのぞ、神の面かぶりて口先ばかりで神様神様、てんし様てんし様と申したり、頭下げたりしているが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざという時は尻に帆かけて逃げ出すものばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ」
「北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ。」
「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はち(血)の色となるぞ、流れもちぢゃ、人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。」
「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。」
「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ。」
「殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにいても生かさなならんぞ」
「神事で知らしただけで得心して改心できれば大難は小難となるのぢゃ。やらねばならん、戦は碁、将棋くらいの戦で済むのぢゃぞ。人民の心次第、行い次第で空まで変わると申してあろうがな、この道理よく心得なさりて、神の申すことわからいでも、無理と思うとも貫きて下されよ、それがまことぢゃ」
「三分の一の人民になると早うから知らせてありたことの実地が始まっているのであるぞ。何もかも三分の一ぢゃ、大掃除して残った三分の一で新しき御代の礎と致す仕組みぢゃ、三分難しいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ」
「世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色に違う臣民によりて、一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教え作らすのぞ。ふるきもの滅びて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ、天津日嗣の皇子(あまつひつぎのみこ)様が、世界中照らすのぞ」
「多数決が悪多数決となるわけが何故にわからんのぢゃ。投票で代表を出すとほとんどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂い、悪となり、人民も同様となっているからその人民の多くが選べば選ぶほど、ますます混乱してくるのであるぞ。それより他に人民の得心できる道はないと申しているが、道はいくらでもあるぞ。人民の申しているのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体にあやなせば弥栄えて真実の道がわかるのぢゃ。ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ」
「日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民みんなわが子ぞ。分け隔てないのざぞ」
「日本の国に食べ物無くなってしまうぞ。世界中に食べ物無くなってしまうぞ。何も人民の心からぞ」
「富士の山動くまでにはどんなことも耐えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ」
「火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地もひとつにまぜまぜにするのざから、人一人も生きてはおられんのざぞ、それが済んでから、身魂磨けた臣民ばかり、神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ」
日月神事は、以下のように教えています。
「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。」(星座之巻第十八帖)
「世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢや。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワ(審神)せよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。カミカカリ(神懸り)が沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(道)をひらいて呉れよ。」
「色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告に迷ふぞ。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。」
「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道見失ふことあると申してあらうが。」
「怪しいと思うことは、たとえ神の言葉でも一応考えなさいよ。馬鹿正直はまことの道を見失うぞ」と警告をしているので、興味を持たれた方は日月神事の本を数冊読んで、自分の「内の声」をきいてみてはいかがでしょうか。
では、次の記事で、岡本天明さんが日月神事を授かった、千葉県成田市台方(なりたし だいかた)の「麻賀多(まかた)神社」を紹介します。
前回「日月神事」を紹介したので、今日は岡本天明さんが「日月神事」を授かった神社を紹介します。 →→岡本天明が授かった「日月神事」とは何か。三千世界の大洗濯とミロクの世 参拝記 岡本典明さんが日月神事を授かったのは、戦争の真っ最[…]
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