前回の続きです。
明治神宮参拝後、竹下通りを通って、東郷神社へ向かいました。
竹下通りからの距離は1kmもなく、5分ほどでつきます。
参拝記
私達が東郷神社に到着したのは、17:40。
あたりは薄暗くなっていたものの、境内には何人か参拝者がいました。
東郷神社では3月末まで人形感謝祭を行っているようで、一体三千円でお払いと御焚きあげをしてもらえるようです。
境内には必勝祈願の旗がたくさん立っていました。
東郷平八郎は、明治時代の日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献した人物です。
日露戦争では、戦艦三笠を指揮し、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を破りました。
東郷平八郎については、→→横須賀軍港と戦艦三笠の記事をご覧ください。神奈川県横須賀市にあります。
「戦艦三笠(みかさ)」は東郷平八郎が指揮し、バルチック艦隊と戦った艦で、現在は資料館になっています。
ウィキペディアには東郷元帥の知られざる一面が載ってありました。
・背は低い(155センチくらい)が美男子でとてもモテた。
・鉄道技師になりたくてイギリス留学を、大久保利通に頼んだが「おしゃべりだから」と断られ、西郷隆盛に頼み込んでイギリス留学決定。
・留学先では「To go, China(=「支那に行け」の意)」とからかわれるなど苦労が多く、おしゃべりだった性格はすっかり無口になってしまった。当時は白人至上主義社会でしたから、露骨な差別もあったでしょうね。
・ハワイ王国のリリウオカラニ女王が、米国との不平等条約を撤廃する動きをみせたことで、反発したアメリカ人農場主らが海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立した際、日本政府は邦人保護を理由に巡洋艦をハワイに派遣し、クーデター勢力を威嚇しました。この時の一隻を指揮したのが、東郷だったそうです。
輝かしい功績はこちら。
・明治38年(1905年)から明治42年(1909年)まで海軍軍令部長、東宮御学問所総裁を歴任。
・明治39年(1906年)、日露戦争の功により大勲位菊花大綬章と功一級金鵄勲章を授与。
・明治40年(1907年)には伯爵を授爵。
・大正2年(1913年)4月には元帥府に列せられ、天皇の御前での杖の使用を許される。
・大正15年(1926年)に大勲位菊花章頸飾を受章。当時の頸飾受章者は皇太子・裕仁親王と閑院宮載仁親王だけ。
・タイム誌の表紙を飾った初めての日本人。
東郷平八郎は、昭和9年(1934年)5月30日、喉頭癌、膀胱結石、神経痛、気管支炎の悪化のため満86歳で死去しました。
戦争で亡くなったのではないため、靖国神社には祀られていません。
ウィキペディアより抜粋
死後東京都渋谷区と福岡県宗像郡津屋崎町(現福津市)に「東郷神社」が建立され神として祭られた。
ただし東郷自身は生前乃木神社建立の時、(陸軍に対抗するために)将来自身を祭る神社の設立される計画を聞いて驚き、「やめてほしい」と強く懇願したが、願いは聞き入れられず結局神社は建立されている。
墓所も生前、母親の益子の眠る青山墓地への埋葬を希望したがこれも聞き入れられず多磨霊園に埋葬されることとなった。
井上成美は、「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね」と語っている。
井上 成美(いのうえ しげよし)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。
東郷神社は、東郷平八郎が亡くなった後、全国から相次いだ要望と献金で、記念館と神社が建立されたそうです。
うーん・・・。
やっぱり、人間ですからね。
いろいろあるんでしょうね。
望んでいないのに、神格化され、希望通りの墓地に埋葬してもらえなかったことを、ご本人はどう思っていらっしゃるんでしょう。
けれども、「必勝の神様」としてたくさんの人が神社に訪れ願を掛け、勇気をもらっています。
がんばる人を見守りながら、にっこり微笑んでいらっしゃるのかもしれませんね。
宴会・結婚式ができる東郷記念館。
水交神社鳥居。
もともと築地・海軍用地の水交社敷地内にあったものを、こちらに移したそうです。
関東大震災、東京大空襲を免れて、半世紀もの間、変転する日本海軍を見続けてきたのだ、と説明書きにありました。
写真のように美しい場所なので、外国人観光客が、記念撮影をしていました。
訪れたのが18時前だったので、閉門しており、中に入れませんでした!
柵の隙間から写真撮影。
左に4色の旗(Z旗)が見えます。
東郷平八郎率いる戦艦三笠は、マストにZ旗を掲揚し、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」という意味を持たせて掲揚したそうです。
この文案は名文家として有名な、連合艦隊参謀の秋山真之だそうで、東郷平八郎ではないそうです。(しらなかったわ・・・)
現在、自衛隊でZ旗はほぼ使われていないそうです。
狛犬がとても特徴的ですね。
ロボットみたいなデザインで、驚きました!
境内には、海軍特年兵の碑と、潜水艦勇士に捧ぐ碑がありました。
特年兵とは、大日本帝国海軍史上最年少14歳以上16歳未満の兵のことです。
4期生までの総数は1万8千人前後で、1・2期生では約3200人が戦死したそうです。
胸が痛みますね・・・。
もう二度と、そのような悲しい歴史が繰り返されないことを祈るばかりです。
以上でこの日の原宿お参り&観光は終わりです。
明治神宮、竹下通り、東郷神社は近くにあるので1日でまわれます。
神社仏閣は閉門が早いので、朝から観光するのをおすすめします。
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→→鹿島神宮の記事はこちら・・・楼門の扁額(へんがく)が、東郷平八郎の直筆。地震ナマズを抑えているお宮です。
→→香取神宮の記事はこちら・・・楼門の扁額(へんがく)が、東郷平八郎の直筆。地震ナマズを抑えているお宮です。
交通アクセス
JR山手線 原宿駅、または東京メトロ 明治神宮前下車。
竹下通りを通り抜けて徒歩5分ほどです。東郷神社は広いので、わかりやすいです。
近くの宿泊施設
ドーミーインPREMIUM渋谷神宮前。東郷神社から1km、徒歩12分離れたところにあります。山手線原宿駅から800m、徒歩10分。