久しぶりのブログ更新です。
ずっと前の旅行で写真も少ないし画質も良くないので、記事にするのはやめておこうと思っていたのですが、今日からしばらく沖縄旅行を紹介したいと思います。
私達が沖縄に訪れたのは2012年の5月。
首里城(しゅりじょう)、玉陵(たまうどぅん)と首里金城町石畳道、ガンガラーの谷、おきなわワールド、万座毛(まんざもう)、美ら海水族館(ちゅらうみすいぞくかん)、今帰仁城跡(なきじんじょうあと)、ナゴパイナップルパークを二泊三日でまわりました。
先月(2019年10月)、首里城正殿が火災で焼け落ちるという大変痛ましい事故がありました。
沖縄のシンボル「首里城(しゅりじょう)」の一日も早い復興をお祈りしております。
旅行記
沖縄県唯一の鉄道「沖縄都市モノレール線」、通称「ゆいレール」。
首里城へは、那覇空港から「ゆいレール」に乗って、15番目の駅「首里駅(しゅりえき)」で下車です。
マップの赤い四角で囲ったのが、ゆいレール首里駅。
首里城の門である守礼門(しゅれいもん)までは龍潭(りゅうたん)通りを歩き、徒歩15分です。
同じくマップにある玉陵(たまうどぅん)と金城町石畳道も有名な観光地で、徒歩でまわれます。この2つは次の記事で紹介します。
龍潭通りから見た首里城。訪れたのが5月のためか、龍潭(りゅうたん)には鯉のぼりがかけられていました。
丘の上に見える朱色の首里城が美しい・・・。
首里城は琉球王国時代の500年以上前に建てられましたが、3回焼失した過去があります。
その後に再建された正殿は、大正14年に国宝に指定されたものの、太平洋戦争中の沖縄戦で再び焼失・・・。
戦後は首里城跡に琉球大学が置かれ、多くの遺構が撤去・埋められました。(写真はウィキペディアから拝借。手前の池は龍潭。私達が見た景色とは全然違って驚き)
1992年(平成4年)に沖縄の本土復帰20周年を記念して、国営公園として首里城正殿が遺構の上に復元。
2000年(平成12年)には九州・沖縄サミットで各国首脳の夕食会の会場にもなり、同年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として県内のほかの「グスク」と呼ばれる城跡とともに世界遺産に登録されました。
龍潭(りゅうたん)は、1427年に琉球王国の第一尚氏王統・第2代尚巴志王の命により作られた人工池で、魚が多く住むことから、魚小堀(イユグムイ)とも呼ばれるのだそうです。
亀やコイがたくさん泳いでしました。
龍潭近くの広場では、猫と鳥が仲良くお食事。
「見たことがない鳥だなぁ・・・」と気になって調べたら、バリケンというカモ類で、沖縄では「観音アヒル」と呼ばれ、食用として飼育されているほか、野生化したものも多くみられるのだそうです。
首里城の大手門「守礼門(しゅれいもん)」に到着。
守礼門は昭和33年(1958年)に沖縄県の戦後復興の象徴として復元されました。
2,000円札に採用された門として有名です。
門の前では写真屋さんが営業をしていて、1,000円程の料金で琉球衣装を着て記念撮影できます。
門前に人の写っていない奇麗な写真も載せておきます。
瑞泉門(ずいせんもん)。
門の右下に、岩の間から清水が沸きあふれ出る泉「瑞泉(ずいせん)」があることが、門の名前の由来です。
瑞泉(ずいせん)と、龍樋(りゅうひ)。
瑞泉門(ずいせんもん)前のシーサー。
漏刻門(ろうこくもん)。
瑞泉門をくぐって左に曲がったところにある門です。
かつてこの門の中に水時計が置かれ、時刻をはかっていたことが、名前の由来です。
広福門(こうふくもん)。
戸籍や社寺の取り扱い所であったところです。
広福門近くから撮った写真。首里城は高い所にあるため、見晴らしが良いです。
園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)。(写真出典:TECHDさん 写真AC)
守礼門と首里城の正門にあたる歓会門の間にある門で、首里城(グスク)跡と共に、沖縄で登録されている9件の世界遺産のうち、関連遺産の4つの遺物のうちの一つです。
世界遺産の首里城(グスク)。
グスク跡に復元された、御庭(ウナー)と、正殿(せいでん)。
ウナーは、首里城で中心となる広場で、東西約40m、南北約44mもあります。
まわりを、正殿、南殿・番所、北殿、奉神門で囲まれ、祭事はウナーを中心に執り行われたそうです。
前に人のいない奇麗な写真も掲載しておきます。(写真出典:TECHDさん 写真AC)
首里城は450年続いた琉球王国(1429~1879)の宮殿で、正殿は沖縄県内最大級の木造建築です。三階建ての造りで、中国建築と日本建築両方の特徴が見られます。
大変美しい宮殿なのですが、残念なことに、2019年10月31日未明から11時間にわたって燃え続け、「正殿」や「北殿」、「南殿」などが全焼してしまいました・・・。
先に書いたこととかぶりますが、首里城は大正14年に国宝に指定されましたが戦争で焼失。
その後、再建され、2000年(平成12年)12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として県内のほかの「グスク」と呼ばれる城跡ら全9件で世界遺産に登録されました。
世界遺産に登録されたのは復元された建物ではなく、地下の遺構「首里城跡」であるため、先月の火災による世界遺産登録抹消はありません。
上の二枚の写真が、首里城の遺構(世界遺産として登録されているところ)。
正殿内部。
正殿二階は、国王とその家族の空間であった「大庫理(ウフグイ)」。
写真は御差床(ウサスカ)といい、額には「中山世土(ちゅうざんせいど)」の文字。
沖縄本島は、北部の北山、中部の中山、南部の南山の三つに分かれていた時代があり(三山時代)、首里城は中山の拠城でした。
後に中山の尚氏により北山と南山が滅ぼされて統一がすすみ、首里城は450年間続く琉球王国の中心部となります。
以上、当時撮影した写真と、売店で購入した写真集の説明文を合わせて載せました。
訪れたのはずいぶん前のことですが、燃えてしまって、本当に悲しいです・・・。
【写真まとめ】炎に消えた首里城、30年を振り返る 朝日新聞デジタルに、たくさん写真が掲載されているので、ご覧ください。
訪れたのがゴールデンウィークだったので、イベントが開催されていました。
琉球衣装を着た方が美しい踊りを見せてくださり、琉球文化は中国と日本の間で、独特な発展を遂げたのだなと感心しました。
琉球文化の発信地として、首里城は無くてはならないものだと思います。
正殿復旧のため、現地での募金の他、銀行・郵便局振り込み、クラウドファンディングも受け付けています。
首里城は国が約73億円かけ復元整備されましたが、材料費や大工職人の人件費などの値上がりにより、再建の費用は倍の140億円ほどかかる見込みだそうです。
首里城火災による影響で、観光客が減少しているとも聞きますので、一日も早い復興を願っております。
次は、首里城に程近い、玉陵(たまうどぅん)と金城町石畳道を紹介します。
前回の【首里城(しゅりじょう)】からの続きで、二泊三日沖縄旅行の紹介です。 旅行記 前回取り上げた【首里城(しゅりじょう)】から、玉陵(たまうどぅん)と金城町石畳道(きんじょうちょういしだたみみち)は近いため[…]
(この旅行記は2012年です)
交通アクセス
那覇空港から「ゆいレール」に乗って、15番目の駅「首里駅(しゅりえき)」で下車。龍潭(りゅうたん)通りを歩き、徒歩15分。運賃は330円です。
車で行く場合、駐車場は有料です。
料金
詳細は首里城公園公式HPで確認してください。
近くの宿泊施設
ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城。