捕鯨問題は、いろいろ難しい。私達の問題は、題材こそ違うけれども、根底は似ているような・・・。

太地町の「鯨の博物館」に関連した記事なのですが、自分の思想が濃い記事なので、社会問題カテゴリーに置きます。

 

今回は3階のパネル展示の一部のみ紹介。
ここは私が書くブログなので、私が気になったパネルしか貼りません。
展示を知りたい方は太地町へ行ってください。
人それぞれ違いますから、気になるパネルも人それぞれでしょう。

 

 

 

 

 

このパネルを見て、「うーん・・・」と思いました。


ウィキペディアで見ると、「ミンククジラは1992年~2003年の調査では51.5万頭程度まで減少している」とあるので、このパネルのミンククジラの右端は下がるのでしょうけれど。

かつて人間が特定の鯨を大量に捕獲したため、鯨界のバランスは大きく崩れているわけです。

 

増えやすいクジラが海産物を捕食し、増えにくいクジラの増加を妨げているならば、増えやすいクジラをバランスよく間引くのは生態系へプラスになるのでは・・・と思うのですが・・・。

 

ちなみに太地町では近海の小型鯨とイルカをとっていますが、 IWCが管理対象としていない種類なので、国・地域での管理となり、違法ではありません。

「感情的な問題、好き嫌い問題はある」のでしょうけれども。

 

IWCが管理対象としているのは、全世界で約80種いる鯨類の中で、シロナガスクジラ、ミンククジラなどの大型鯨類計13種。それ以外の鯨類はIWCの管理対象となっておらず、国、地域ごとに管理されています。
(日本捕鯨協会から抜粋)

 

捕鯨反対派の主な主張は、
・かわいそう
・イルカと鯨は知能が高いから、家畜とは別の存在
・他に食べるものがあるのに、なぜわざわざイルカとクジラ?
・しとめ方が残虐
・獲ることでまた絶滅の危機に瀕する
などでしょうか。

 

 

私は、イルカが好きですし、新婚旅行でザトウクジラの親子のブリーチングを、何度も見て感動したので、鯨とイルカを食料として見ていません。

 

 

 

新婚旅行での写真。

 

 

 

お母さんクジラのブリーチング。

 

 

 

 

こちらは、小クジラ。

何度も何度も、美しい姿を見せてくれました。

ガイドさんが、「この鯨の親子は、クレイジーと言うくらいいっぱいブリーチングをしています! こんなに連続して跳ぶのは、ほとんど見たことがありません!」と興奮気味に話しておられたのが、まるでついこの前のことのように思い出されます。

 

親子クジラは、あの時、楽しかったのかな?

 

 

全ての生物に「親子関係がある」わけですが、生き生きとした鯨の姿を見て、生命の美しさ、種の多様性の素晴らしさに、胸打たれました。

 

 

そんな私は、過去にクジラ肉を学校給食で一回食べたけれども、自分で好んで買わないし食べないので、捕鯨が無くなっても困らない人間の1人です。(もちろん困る人もいる)

 

では、捕鯨の立場はどうかというと、
日本捕鯨協会 捕鯨をめぐる国際世論(Q&A形式でよみやすいです)
捕鯨問題の真実
あたりが読みやすいでしょうか。

 

 

個人的な感情はさておき、頭で考えると、私は捕鯨に賛成でもないし反対でもありません。もちろん、無関心というわけでもありません。

強いて言うなら「もともと人間が鯨界のバランスを崩したのだから、整えるために増加の著しい種類を間引くのは合理的」と思えるので、数が管理できるなら賛成という立場です。←正確な管理が難しそうですが。

 

 

もう一つ気になる情報として、信じる人と信じない人に分かれそうですが、スピリチュアル界で有名なバシャールさんが、「クジラは物質界のペースメーカー」、「イルカとくじらは、外見は違うもののあなたたちと同じタイプの魂」とおっしゃっているようで、こちらはソースがはっきりしないし複雑なので、興味を持った方は「バシャール クジラ」などの検索ワードで探してください。

 

 

 

私は「鯨を獲る事」よりも、「捕鯨反対派の過激な言動」の方が、気になります。

「人間と鯨」ではなく、「人間と人間」の関わりですからね・・・。

地球で一番知能が高いと言われる人間(にしても問題山積みだなぁ)同士の、意見・立場の相違への対処←←これが気になるワケです。

胸が悪くなるので映像は張りませんが、ユーチューブで検索するといろいろ出てきます。

 

なにより、表現がマズイと思います。

「日本がクジラをとっている」ではなく、捕鯨協会によると「日本のほか、アイスランド、ノールウェー、ロシア、アメリカ、デンマーク、カナダ、インドネシア、セントビンセントなど」ですから。

 

「日本が! 日本が!」と血まみれデザインの日の丸で抗議したり、「日本人は○○だ!」と貶めるような表現は、どうかと思います。

 

「鯨の問題ではなく、別の問題ではないか」とすら思えます。

 

 

 

外国人の「日本人が捕鯨している! 日本人が○○だ!」の表現に、不快感を持った人が「和歌山が捕鯨している! 太地町が殺してる!」と「日本」から「太地町」に言葉を変えて抗議するのも複雑な気分です。

 

「太地町のせいで、和歌山のせいで、世界中から批判される」と怯えて、必死に太地町を悪者にしてしまうのです。

 

そもそも世界中の批判なんてありませんし、世界中の賛成もありません。みんな自分の立場で動いているだけです。

 

「一つの国」の中にはそれぞれ別の考え方の人がいて、「みんな違う」ことを尊重しないと、とんでもない誤解になると思いますが・・・。

 

捕鯨が良いか悪いかはさておき、安易に「世界中から批判がくる」と煽る人は、少し冷静になってはどうでしょう。

また、それらの過激な表現に怯えて、自分も攻撃側につくことのないようにしませんか。

煽る人が居るならば、静める人(無関心ではなく)も必要なのだと思います。

 

あなたはどの立ち位地を選択をしますか。

 

国際社会においては、異なる文化をお互いに尊重し合う精神が必要であり、自国の価値観を他国に押しつけるような行為は慎むべき

 

 

「異なるものへの批判。自分の考えの押し付け」は、何も捕鯨だけではなく、そこらじゅうに転がっており、私達一人ひとりがどの立ち位置で、どのような行動を選ぶのかが、大切なのだと思います。

 

 

 

あともう一つ、食料廃棄も気になります・・・。

これもまぁ、大きな問題だなぁと。

命はゴミじゃないですからね。

 

「クジラが大量に魚などを捕食するから、クジラを減らして、クジラ側の海産物の消費を減らす」
の意見もアリでしょうが、
「人間側の食料廃棄を減らす」
のは、大事な課題でしょう。

 

3分の1もの食品が、廃棄される現代社会。

食料の供給の仕方も、これからガラリと変わるかもしれません。

 

 

 

素直な気持ちをツラツラ書きましたが、あなたはこれらの問題をどのように捉えますか。

 

「人はみんな違う」、「同じ人は居ない」というのは、いろんな視点から物事を見て、いろんな行動が出来ることだと思います。

それは問題を大きくさせる一面もあるけれど、表現方法を工夫すれば、きっと素晴らしいことなのだと思います。

 

あなたは、どのように思われたでしょうか。